第2回風狂盲人日記アイキャッチ

昨年 3 月、眼科医の診断書を持って区役所に視覚障害者認定の申請をした。1ヶ月後に障害度 2 の認定を受けた。障害度1は全盲、障害度2はそれに続く状態で、わずかに数メートル先まで視界はあり、足元の1メートル先ぐらいを見ながら杖を頼りに歩くこともできる状態ではあった。

それで最初に行ったのが高田馬場駅近くにある日本点字図書館。ここでどんなサービスを受けられるか相談したところ、パソコンを打つことを覚える講座があるとのことで、私も週 1 回それに参加してみることにした。全盲の講師と 1 対 1 で、まさにブラインドタッチを覚える方式なのだが、5 回通って色々考えた結果、パソコンを打っても書いた文章が読めないし、それをメールなどの形で送ることもできない状態だということで行き詰まり、結局講習を受けることはやめてしまった。

代わって素晴らしいサービスだと思ったのは、古今東西の文芸作品の朗読 CD を相当整備していることが分かったことだ。全国の公立図書館と連絡し合って、同じ作品をダブって録音しないよう調整しており、その数も数千本にのぼっているという。

普通の CD はせいぜい1時間半ぐらいの収録時間だが、この朗読 CD は 1 枚に最長で 50 時間以上録音することが可能なので 、長編作品も収録できていることが分かった。 その再生装置は地元の公立図書館から 3 ヶ月単位で借りて、自宅でそれにかけて聴くというやり方で、小説・評論など大概の文芸作品が、目で読むことはできないけれども聴くことができることがわかった。

そこで最初に聴き始めたのが、『平家物語』(角川書店 上・下)であり、続けて平家物語に関する他の作品、例えば井上靖の『後白河院』、女流作家たちの『建礼門院』『右京太夫』『静御前』『巴御前』『北条政子』などを次々に聞き、平家物語の世界をたっぷり楽しむことができた。そこで痛感したのは、『平家物語』が、盲目の法師たちが琵琶を奏でながら辻で語ったように仏教の説話文学の色合いが濃く、全てが「生者必滅」の無常観で彩られていることだ。歌舞伎や文楽で馴染み深い俊寛、熊谷直実などの宿命が簡潔に描かれている反面、全編通して平清盛の出番はほとんど無く、その長男重盛が非常に聡明な武将で、若くして病死しなければ父清盛を諫めて平家の命運を長く保ったであろうということだった。

その後日本文学を時系列でもう一度確認しようと思い、慈円『愚管抄』、次に『古今著聞集』『沙石集』、更に鴨長明『方丈記』、吉田兼好『徒然草』、上田秋成『雨月物語』『春雨物語』、式亭三馬『浮世床」』、為永春水『春色梅児誉美』などを聞いた。『浮世床』の江戸っ子たちの会話は、そのまま古今亭志ん生の落語の世界であり、『春色梅児誉美』は明治以降、泉鏡花の『婦系図』『日本橋』などの新派劇、および私生活を詳しく描いた自然主義文学に直結していることがよく窺えた。

特に感銘深かったのが、私が学生時代から愛読していた丸山眞男『現代政治の思想と行動』(未来社)、『文明論之概略を読む』(岩波新書 上・中・下)であり、さらに加藤周一『日本文学史序説』(筑摩書房 上・下)などだ。

こうした本のほとんど全ては昔一度は読んでおり、今でも私の書斎の本棚にあるのだが、それが全く読むことができないので、特に急いで読みたいと思ったものを、順次やや系統的に読む(聴く)ことにしたものだ。

4 月に入って念願の『太平記』(山崎正和訳 上・下)を今聞いているところだが、南北朝の争乱時代の後醍醐天皇をはじめとする公卿たち及び武士たちの心理状態、その葛藤が豊富なエピソードで語られており、実に興味が尽きない。この作品は後醍醐天皇を主役に、まず新田義貞が鎌倉の北條氏を滅ぼし、続いて足利尊氏が新田と主導権争いをし、足利が新田を滅ぼすに至る目まぐるしい過程を描いたものだが、本全体の2~3 割は、中国の春秋戦国時代から唐の玄宗皇帝時代の安禄山の乱に至るまで、豊富な故事を引用しながら、武将たちが中国の英雄になぞらえて戦いに立ち上がり、死んでいく姿をドキュメンタリー映画のように描いていて、人が生きる上で何かを決断する時には必ず古人の生き方に学び、それを見習う形で生き抜くものだということを実に良く感じさせる。それにしても、日本中を大騒乱に巻き込んだ約 30 年に及ぶ絶え間ない合戦を、『太平記』と名付けたのは一体どういう心理なのか、ゆっくり考えてみたいと思う。

更に意外なことは、鴨長明が源平合戦の最中に青年時代を送り、吉田兼好が南北朝の騒乱を間近に目撃していたにもかかわらず、二人ともそれぞれのエッセイではそうした政治ドラマ、戦争について一言も触れていないことだ。長明は 40 歳の時にわざわざ鎌倉まで出向いて三代将軍、実朝に面会し、歌の指南役をする就職活動を行ったが、実朝は長明のライバル藤原定家を師とすることを決めていたため断った。そのため、長明は京に戻り、四畳半の庵を編んで『方丈記』を書いたのだった。

一方兼好も歌道の名人で、足利家の重臣、高師直に頼まれて出雲出身の塩冶判官の妻への付文(和歌、ラブレター)を代筆するほど公卿、武家両方の上層部に親しく交わっていた。これが「仮名手本忠臣蔵」のモデルにされるほどだった。

人を評価するのに、書いたものからだけでは一面的にしか理解できない。書かなかったことの理由を状況証拠などから調べ直すことによって、その人物の全体像が浮かび上がる、というのが伝記を書く上での鉄則であり、それは古人も現代人も変わりはない。

『太平記』は今 1 回目を聴き終わり、2 回目を聴き始めたところだが、これまで CDでいいと思ったものは全て2回、3回と聴き直しており、それによって、読むことでは素通りして気がつかないことに幾つも気づかされることがあって、これはこれで面白いことだと考えている。

人は情報を得るのに目が 8 割、耳が 1 割、その他皮膚感覚などが 1 割だと言われている。その 8 割の情報源を失った時、結局まず頼みは耳であり、耳から聴く 1 割の情報を、一度では気づかないまま流してしまうものを、2回、3回と聴き直すことによって想像力を膨らませ、その描かれているものをより深く知る、ということで理解を深めることができるのだということを最近しみじみと感じ始めている。

一人で自由に外出できないので、民間の同行援護サービス団体の人に来てもらい、病院にも公立図書館にも或いは近くの買い物も同行してもらっているが、行動範囲も非常に狭まってきているものの、 CD を聞いてその耳から得る情報で世界を広げるということを、この一年少しずつ学び始めているところだ。なお、この連載のタイトルは、石川淳の現代怪奇小説『狂風記』、谷崎潤一郎の晩年の作で、蠱惑的な嫁に翻弄される病床記『瘋癲老人日記』からヒントを得た。両作品とも、昨年夏朗読 CD で聴いて非常に面白く、強く印象に残った。