夕刊の23回連載を引き受ける

この春、6年ぶりに編集局に戻り、編集委員となった。そこで最初に手がけたのが日本経済新聞夕刊の定期コラム「ドキュメント挑戦」で、自分が面白いと思うテーマを選んで丸1カ月間、月曜から金曜まで毎日連載する企画だ。とりあえず4月1日から5月2日までの23日間のスペースを引き受けることにした。一回が1200字ほどの分量だから、最終的に400字原稿用紙にして70枚くらいのボリュームになる。それだけあれば、かなり大きなテーマで、ふだんのニュース記事では触れられない背景事情や複雑な問題点などをいろんな角度から突っ込んで詳しく、しかも総合的にとらえることができる。どんなテーマにするかを半日考えて、「日本語教育」に決めた。

日本の教育文化面での国際交流には外国人留学生の受け入れ体制を整備すること、日本に居住している外国人に日本語を理解してもらうこと、さらに海外でも日本理解を深めてもらうために日本語を普及することなどが重要な課題になっている。それを調べてみると、政府の政策レベルでも、日本への留学試験制度の改革でも、また日本語学校の現場でも今、かつてないほど大きな、しかも急激な変化が起きていることがわかった。

そうした変化を垣間見たのは昨年夏、アメリカで日本語教育の教授法について全く新しい「ナショナル・スタンダード」が登場していることを知り、その東京での初めてのシンポジウムの司会役を務めたことがきっかけだった。(詳細はエピック35号?に掲載)

日本への留学生の数は20年で10倍に

取材を始めたのは3月10日ごろから。15日ごろには全体のスケルトンと各回の主な内容を固めなければならないし、25日くらいまでには最初の4-5回分の原稿を出さなければならない。しかもすべて自分一人でやらなければならない。文字通り、時間との競争で、取材しながらどんどん書いていかないと間に合わないという自転車操業になった。

取材の基本は、まず現場に飛び込んでみること。都内にある日本語学校を何校も訪ねて、経営者や教師の話を聞き、授業風景を見させてもらい、学生たちの意見を聞くことから始めた。そこで最初に気づかされるのが日本語学校の大半が民間企業や個人経営の任意団体であり、正規の学校法人ではないという事実だ。

もともと日本語学校には法的な規制もなければ設立基準などもなかった。誰でも自由につくれたし、戦後長い間、日本にくる宣教師や大使館員、外資系企業の駐在員などに篤志家が私塾を開いて教えるのが続いていたからだ。

それが80年代以降、日本の経済力が高まり、世界的に日本への関心が高まるにつれて日本語を学ぼうとする人たちが増えてくる。それにつれて日本語学校も林立していった。

さらに83年に中曽根内閣が「留学生10万人計画」を打ち出したことが大きな弾みになった。当時、外国人留学生の年間受け入れ数は米国が31万人、フランスが12万人、ドイツ、イギリスが5万人以上だったのに対し、日本はわずか8000人で、欧米先進国に比べて極端に少なかった。日本の国際化が唱えられる中で、21世紀初頭には、つまり今日の段階で、留学生の受け入れ数を10万人に高めようという計画だった。これによって留学生の数は急増し、88年に2万5000人、90年に4万1000人、2001年には7万8000人に増えた。それでもまだ「10万人」の公約を達成はしていない。

だが、文部科学省の留学生課は「日本語学校の学生を含めて考えれば10万人計画は達成していえるとも言える」と言う。

「就学生」という差別

現在、日本語学校は全国に320校ほどあり、そこで勉強している学生は年間3万3000人を超している。その日本語学校の学生たちのほとんどは外国の高校卒業生か大学在校生、あるいは大学卒業生で、日本の大学、専門学校、専修学校への留学を希望して日本に来ている若者たちだ。

だが彼らは「留学生」とは呼ばれず、「就学生」と呼ばれている。「留学希望者」であって「留学生」ではない。通っているのが学校法人ではなく、民間企業だということがその大きな理由だ。その「就学生」という言葉をつくったのは法務省入国管理局だ。80年代に日本への留学希望者が急増する中で、学校法人の学生でないのに留学生ビザ(査証)を発行することはできないとの判断から、別枠として「就学生ビザ」というカテゴリーをつくったのだという。

留学生なら交通機関の学割もあるし、医療保険の適用もある。何より各種の奨学金制度の支給対象にもなる。ところが「就学生」にはそうした学生としての恩典がない。学校に通うのに「通学定期」が買えず、高額の「通勤定期」を使うしかない。事実上の「留学生」であっても金銭的な支援が得られないから、自分で働いて稼ぐなり、親からの仕送りに頼らざるをえないのが実情だ。

そうした就学生が割のいいアルバイトを求めて飲食店から風俗営業に流れたり、窃盗、強盗などの犯罪にからんだりする事件も起きる。不法残留者の犯罪に手を焼いた警察が「就学ビザなど発行するな」と入国管理局にクレームをつけたこともあったという。

これまで日本語学校がニュースとしてマスコミに登場したのは、強盗、傷害事件で犯人が「就学生」だった場合に学校の学生管理が不十分だと批判したり、「就学生」が大量に蒸発して行方不明になったとか、学生たちが入学金や授業料を払い込んだのに学校の経営がずさんで授業が満足に受けられずに怒っているというような事件の時がほとんどだった。その場合、取材源はたいてい警察で、報道の姿勢も、もっぱら「就学生」とは留学目的ではなく、就労目的の出稼ぎ集団、不良ガイジン集団だとする見方が支配的だった。

だが実際には、日本語学校の多くが学生の受け入れに慎重を期して選考を厳しくしており、しかも受け入れた学生の生活指導にも大変な労力をかけて面倒をみていることがわかった。日本語学校、就学生を犯罪事件という異常事態(ニュース)としてではなく、ふだんどんな授業をしているのか、学生の生活指導にどんな苦労をしているのかなど、日常的な実態の現場報告として描いていきたいと考えた。

その結果、今回の連載には日本語学校関係者から「私たちの実態が初めてまともに取り上げられた」と喜ぶ声が多く寄せられた。

全国の日本語学校が加盟している業界団体、日本語教育振興協会の佐藤次郎理事長(65)は業界改革の旗振り役を演じてきた中心人物だが、機会あるごとに「就学生という呼称は有害だ。留学生にすべきだ」と主張している。私もそれに賛成だ。だが法務省はもちろん無視。「経営がしっかりしている“適性校”が増えているが、まだ経営に問題のある学校もあるので、入国審査を厳正に行う上で“留学生”と“就学生”の区別が必要」(入国管理局)との姿勢を崩していない。

佐藤理事長は文部省OBだが、文部科学省も「ビザのステータス(地位)を決めるのは入管局の仕事なので」(留学生課)と歯切れが悪い。「法務省とはよく協力し合って協議している」と言うが、他省庁の権限にかかわることには口をはさまないのが役人の常で、自分の省庁のことでも先輩が決めたことを否定したり変えたりすることは「行政の継続性、一貫性」を盾にまずしない。留学生の受け入れを積極的に進める、という基本方針に沿って、現場が歓迎することをどんどん取り入れて改革するのが筋だと思うのだが、役所の姿勢は容易に変わりそうにない。

留学試験制度の改革

これまで日本の大学に留学を希望する学生は日本国内で年一回実施している日本語能力試験と私費留学生統一試験の両方を受験して合格しなければならなかった。このため学生は大学に入学できるかどうかわからないまま来日してまず日本語学校で勉強し、半年後、1年後に受験するというケースが大半だった。これでは留学希望者の負担が大きすぎる、という批判が長く続いていたが、その批判に応えて、この6月、新しく日本留学試験が導入された。

新試験は年に二回、外国でも受験できるので、わざわざ日本に来なくても済む。合格すれば正規の「留学生」ビザで来日できる。実施するのは文部科学省の外郭団体である財団法人、日本国際教育協会。新試験は米国の外国人用英語学力テスト、TOEFL(トーフル)の日本語版を目指しているもので、第1回の6月には日本国内で15カ所、海外ではソウル、台北、マニラ、シンガポールなどアジアの主要10都市で約7000人が参加して一斉に行われた。

だが今、日本語学校で学ぶ学生の6割が中国人であり、中国がこの試験に参加してくれなくては意味が薄れてしまう。協会は外交ルート(つまり大使館)を通じて中国に参加を呼びかけているが、6月までは全く何の意思表示もない。また肝心の日本の大学も、新試験を利用すると決めた大学は国公立で半数、私立で2割しかなく、大半は「模様眺め」だ。2回目の11月の試験にはぜひ、大多数の大学が利用を決めて、中国でも実施してほしい、と協会は願っているのだが、まだその動向はわからない状態だ。

日本も「沈黙は悪」の社会に

連載中、日本語の本がベストセラーになっていることが気になっていた。日本人に日本語を教える必要性が強調されるようになったのはなぜか。それを調べながら、筑波研究学園都市で日本人の小中学生相手に日本語教室を開いている三森ゆりかさん(44)を訪ねた。彼女は帰国子女で、言語技術教育研究所を主宰し、日本語でいかに論理的に考え、自分の意見をまとめて的確に表現できるかを教えている。商社に勤務していたころ、英語に堪能なはずの上司、先輩たちが外国人と折衝すると、論争に負けてズルズルと譲歩していく姿を何度も見て、最も重要な資質は語学力ではなく、論理的な思考力、情報分析力、批判的判断力、客観的表現力に大きな差があることに気づいたのがきっかけだったという。

その私塾の教育法をルポした記事には相当な反響があった。そのほとんどが「うちの子を入れたい」「都内でも教室を開いてほしい」などの要望で、親たちが学校の国語教育に大きな不満を持っていることを示していた。三森さんは「本来、言語技術教育こそ学校でしっかり教えるべきことなのに、国語の授業では全く教えていないから、私がボランティアでやっているだけ。私の塾が不要になる時代が一日も早く来ることを願っています」と苦笑していた。

たしかに日本語は欧米語に比べて非論理的だとよく言われてきたが、日本語には日本語の論理があり、それもその場の雰囲気を感じ取りながら、できるだけ自分の意見を率直に言わなくて済むように工夫することに特徴があった。狭い共同体の中でできるだけ波風を立てずに、周りの人たち、相手の気持ちを察してやりながら穏便に話をまとめるのが望ましいとされてきた。論語の「巧言令色少なし仁」に共感し、「沈黙が金」「不言実行」が美徳とされてきた。それは身内、仲間だけの間で「言わなくてもわかる」社会でもあった。

だがこの20年くらいの間に「国際化の時代」に入って、そうした「仲間うち共同体」に安住できた時代が終わってしまったのではないか。社会変化が激しくなる中で、親子でも世代間でも「暗黙の了解」「共通の感覚」が急速になくなり、異文化社会の人たちと接触するのと同じように「言わなくてもわかりあえる社会」ではなく「言わなくてはわからない社会」に移ってきているのではないだろうか。

国際化の時代とは実は「男は黙って・・・」が称賛された時代の終わりを意味している。今は同じ日本人同士でも「言わなければわからない」時代であり、相手を理解し、自分を理解してもらうために言葉を尽くさなければならない時代になってきた。

それはさらに突っ込んで考えると「言ってもわからない社会」に入りつつあるともいえる。「言ってもわからない」時にどうするか。「言葉を尽くしてわかってもらう」努力を不断に続けるしかない。言葉への不信がまん延すると、あとは「問答無用」と言葉でのコミュニケーションを否定し、暴力、テロという実力行使に訴える風潮が広がってくる。それは戦前、2・26事件から昨年の9・11まで、脈々とつながっている。日本人が日本語を見直そうという機運が、そうした言語不信への防波堤になればいいのだが−−。