2026年正月
明けましておめでとうございます。
10年来親しく交際して頂いている吉田勝昭さんから「何でも自由に書いてほしいから」とのお誘いを何度か受けて来ました。そこで、新年を期してそのお誘いに乗って、私なりの自由なエッセイを書き綴っていこうかと考えています。題して『風狂盲人徒然草』。まさに「徒然なるままにつれづれなるまゝに、日くらし、硯にむかひて、心に移りゆくよしなし事を、そこはかとなく書きつくれば、あやしうこそものぐるほしけれ」の心境です。
実は2022年から2年半、シニア世代のための啓蒙団体・従心会から誘われて、そのホームページに毎月『風狂盲人日記』を連載しました。2024年夏、30回連載したところでこの団体そのものが担い手の人たちの老齢化などによって活動を終えることとなり、私の連載も自動的に終わっていました。
それを知った吉田さんが、改めて新しい盲人日記の再開を提案してきてくれたもので、正直なところ、その温かい思いやりに感謝するばかりです。
吉田さんは大手化学薬品会社重役を退職された後、自ら「私の履歴書研究会」を立ち上げ、日経新聞の定期コラム『私の履歴書』を毎月仲間と共に読んで議論する会をこの10年続けています。加えて、丸の内朝飯会を始め、他の社外勉強会、異業種交流会の世話役を進んで引き受け、年齢に関係なく世代縦断的に自由に刺激し合える活動を精力的に進めてきています。そのエネルギーにはひたすら敬服するばかりです。
ここで念のため私の自己紹介をしますと、日経新聞記者を32年やった後、2004年に秋田に設立した国際教養大学の中身作りから関わり、発足と同時に教授兼図書館長となって12年間若い人たちを指導してきました。その記者時代に『私の履歴書』で初めて外国人を登場させ、3回にわたってそれを担当しました。第1回が1991年5月のフルブライト米上院議員、2回目が2001年10月のジャック・ウエルチ米GE会長、3回目が翌2002年10月のルー・ガースナーIBM会長でした。その取材の苦労話などを吉田さんの研究会で発表したのが親しい交際の始まりでした。
振り返ってみれば、今年は昭和元年(1925年)から数えて101年目に当たります。つまり、100歳までは皆昭和世代になる訳で、101歳以上の大正世代がどれくらいいるのかちょっと調べてみたところ、2024年現在で約63,000人ということです(厚労省「高齢者人口(年齢別内訳)」)。半世紀前(1975年)だと、100歳以上というのは全国でも約500人でした。それが着実に毎年増えている訳で、正に今は「人生100年」時代に入っていることは間違いありません。私自身昭和22年生まれの団塊の世代で、現在78歳です。大正13年生まれの父は70歳で、大正15年生まれの母は90歳でそれぞれ他界しました。私自身50代くらいまで夢中で記者活動をしていた時には、人生の先輩に当たる取材先の人たちに「勝又さんは幾つまで生きると思っているの?」と聞かれ、常に「定年の60歳以降のことなど全く考えていません。新聞記者は平均寿命より10歳若く死ぬというのが定説ですから、私も60歳まで生きればいい方だと思っています」と答えていましたが、相手からは「とんでもない。これからは80、90歳まで生きることを想定しなきゃダメだよ」と言われ、そういうものかと苦笑していたのですが、今はそうした先輩の言葉に素直に頷くばかりです。
因みに、最近人から聞いた話で、日本のオムツの販売高で赤ちゃん用を高齢者用が完全に上回ったと聞いてちょっと驚きましたが、それもむべなるかなと思います。何しろ年間出生数が毎年減少し、2022年には80万人を割り、2025年には67万人程度になる見通しです。それに対して私たち団塊の世代(1947‐1949)の合計出生数は800万人強でした。そのうちこれまで病気や交通事故で亡くなった人が約2割。入手可能な直近の2023年調査(厚労省人口動態調査)によれば、団塊世代の人口約640万人に対して同年の出生者数は73万人弱。新生児の9倍近い人数が80歳前後で犇めいていることになります。そうした中で、この『風狂盲人徒草』では思い切り自由に書き続けたいと思うので、読者となる皆さんからの率直な感想を聞かせて頂ければ幸いです。
