第1回で私は、英語はグローバル人材の必要条件でも十分条件でもない、と言った。ではグローバル人材の条件=資質は何か、特にその中で最も重要な条件は何か。
私は自分がこれまで出会い「この人こそグローバル人材だ」と思った人たち(盛田昭夫、明石康、村松増美、小松達也ら)数十人に共通する資質を整理した結果、次の7条件を挙げてきた(詳しくは拙著『最強の英語学習法』(IBCパブリシング、2017)を参照してほしい)。
①異文化(異国籍・異人種・異なる風土・歴史・民族的な習俗・風習・宗教・価値観などまで広く含む)への好奇心を強く持ち、対等の立場で異文化摩擦・衝突ができる
②自分の文化(家族・生まれ故郷・地域社会・国)をよく理解し、誇りに思う
③論理的思考・批判的判断力を養い、自分の考えを的確に表現し、主張できる
④他人(他人種・他民族・他文化)を蔑視しないで、共感できる想像力を養う
⑤民主主義の理念(自由・平等・公正・寛容)を実行し、高い正義感と倫理感を持つ
⑥職業として選んだ仕事で常に「プロとして一流」「世界でトップ」を目指す
⑦既成事実に流されず、既得権益に安住せずに、常に「ゼロから」挑戦・創造する
――の7条件だ。ここで注意してほしいのは、「英語力」「語学力」が入っていないことだ。ところが多くの「グローバル人材」論はせいぜい①~③までを想定し、それを発信する語学力として英語力を挙げ、それらをまとめて「異文化コミュニケーション力」として、特に英語力の重要性を挙げている。
だがよく考えてみればわかるはずだが、①~⑦は、別に英語ができなくても十分身につけられる。単なる「コミュニケーション」は片言でも、通訳付きでもできる。特に①と④は連結していて、異文化を「上から目線」で蔑視するのでもなければ、恐れ多いとへりくだって 見上げることでもなく、あくまで対等に、敬意を払いながら接する姿勢を養い、保つことであり、その「共感能力」こそが「異文化コミュニケーション力」の基本を成すと私は考えている。そこで以下、普通の「グローバル人材」論では触れていない、④~⑦について、なぜ、これらが本来の「グローバル人材」の重要な条件=資質なのかを説明したい。
まず、なぜ④が重要なのかは、人類の歴史をたどってみれば明らかになる。それは自分の同族を中心に「文明と野蛮」「選良民族と劣等民族・人種」に分け、より優れた文明を持つ者が伝統的な民族文化を守っている者を駆逐し、奴隷化し、あるいは抹殺してもいいと考えることが実に20世紀に至るまで堂々と行われてきたことに対する反省が基礎になっている。
古代の昔から文明(技術と軍事力)の発達は、戦争によって近隣種族を制圧し、統治する領土を広げ、植民地化した現地の人間を使役することで農業、商工業、鉱山業などを発達させた。近世の大航海時代から西欧諸国がアフリカ、南北アメリカ大陸からさらにはアジアへと進出(侵略)し、その列強の領土争奪戦、覇権争いが、20世紀の2回の世界大戦をもたらし、ロシア・中国に共産主義革命政権を誕生させ、20世紀の後半には東西冷戦によって軍拡競争を続け、1990年代の冷戦終結後も米中ロの覇権争いが21世紀の今日まで続いている。軍事力によって他国を威圧して、“Let’s make America great again!”と訴える政治指導者が国民から拍手喝さいを浴びているのが現実なのだ。
そういう「自国第一主義」=排他的な他国・他民族蔑視に陥らないようにするためにこそ、④の「共感力」を持つことが「グローバル時代」に生きる者に必須の資質だと考えられるからだ。
そもそも1990年代からにわかに「グローバル時代」という言葉が使われるようになったのは、次の3要素が主な背景になっている。
(1)情報通信技術革命によってヒト・モノ・カネ・情報が国家の垣根を簡単に超えて(フラット化する世界・ボーダーレス社会)高速で移動することが可能になったこと。
(2)途上国の飢餓・食糧問題に人口爆発、民族間対立、大気汚染・海洋汚染・地球温暖化など地球規模で人類全体が取り組むべき課題が大きくクローズアップされてきたこと。
(3)産軍複合体による核兵器など大量破壊兵器の軍拡競争を抑止し、大国間の覇権争いではなく、各国間・各地域組織間の緩い連携によって地域間、あるいは地球全体の安全保障を確保していく体制づくりが求められるようになってきたこと。
これらが背景になっているからこそ、21世紀になってしきりに「持続可能な地球・社会づくり」が説かれるようになってきたのであり、2015年に国連総会が「世界を持続可能に転換するための2030年に向けてのアジェンダ(Transforming our World: The 2030 Agenda for Sustainable Development)」を採択して、17の目標と169の達成目標を掲げたのも、肯けるだろう。
それに対応するものとして、「グローバル時代に生きる人間」としての重要な条件に、私の掲げる⑤がある。つまり世界の生き残りをかけた課題に取り組むにあたって、私たちがとりわけ意識しなければならないことは、世界のどの人たちに対しても、彼らの人権を守り、公平・公正・平等であるべきだという感覚を持つべきであり、それこそがすなわち本来の民主主義の理念に則(のっと)るものだ。それと同時に、不正、ごまかし、虚偽、汚職などは許すべきでない、と考える倫理観、正義感を兼ね備えなければならない。こうした倫理観、正義感がなければ、実はどこの国の人と付き合っても、結局は信用されないし、信頼もされはしないことを自覚すべきだろう。
そして⑥は、職業人としての生き方に深く関わる問題だ。つまり自分がどんな仕事をするにせよ、営業でも会計・事務でも労務でも技術開発でも、自分が取り組んでいる仕事で「誰にも負けない、トップクラスの仕事をする」という「プロ意識」を持たない人は、実は職場の周囲の人にも取引関係の人にも、同業他社の競争相手にもほとんど問題にされないし、信用も信頼もされない、ということだ。スポーツなど勝負事の世界は特に顕著だが、ビジネスでも科学技術面でも、国際競争の世界では絶対に「世界でトップを目指す」意欲・情熱がなければ何事も成し得ない。グローバルに活躍しようと思う人間には、まさにこの「世界でトップを目指す」プロ意識が絶対に必要不可欠だと私は考えている。
その点、10年ほど前、民主党政権で事業仕分けの模様がテレビで実況中継されたとき、ある議員が、国際競争にしのぎを削る科学技術開発事業に対して「なぜ世界でトップを目指さなければいけないのか。2番、3番でもいいではないか」と発言したのを聞いたときには、思わず、椅子から転げ落ちそうになった。最初から2位、3位を目指して成功するのは接待麻雀くらいだろうし、2番、3番でいいと思うような選手、技術陣は絶対に決勝に残るどころか、予選落ちするのが目に見えている。トップを目指して皆で激しい競争をした結果、2位、3位、という順番がつくだけなのだ、ということもわからない政治家には国家の重要課題、国として取り組むべき課題の優先順位もつけられないだろう、と思ったものだ。
つまり挑戦する姿勢を持たない人、現状維持でいい、そこそこの地位にいればいいと思っている人は何も生み出さないし、改革も出来ない。そういう人はとても「グローバル人材」とは呼べない。現状をしっかりと調べ、何が問題であり、どこに突破口があるかを探りながら果敢に挑戦する、という姿勢を持ち、そういう挑戦をし続けることによって新しいものを創造することこそが「グローバル人間」に求められているのだ。
――以上のことを総合して、上記の7条件で示した次第だ。
要約すれば、人類の遭遇している新しい「グローバル時代」には、それにふさわしい人間類型、つまり「グローバル時代」を果敢に乗り切り、方向性を示しながら実践していく優れたリーダー群が必要なのであって、それこそが「グローバル人材=人財」なのであり、それは単に「国際ビジネスで競争に勝つビジネスマン」という表面的なイメージでとらえるべきものではない。そして、よく考えてみれば、そういう人間像は本来は、いつの時代、どこの社会でも通用する、人間として、優れた指導者として信頼され、尊敬され、信用される人間像なのであり、そういう人物には絶対に、私の挙げた7条件、それも特に⑤~⑦が資質として必要不可欠なのだ、と私は考えている。
