2001年夏、東京駅に近い東京国際フォーラムで日本語教育のシンポジウムがあり、その総合司会を務めた。アメリカで開発された全く新しいタイプの日本語教育法を日本に紹介するのが主なねらいで、その教授法を開発し、普及に取り組んでいる指導者二人が来日して、広く一般向けに解説する初めての試みだった。聞いてみると、たしかに面白い。そのポイントは「どう教えるか」という技術的な問題ではなく、「どういう目標を持って、どういう心構えで取り組むべきか」という教師の基本的な姿勢を問題にしていることにあった。もっと言えば、いかに優れた教員を養成していくか、あるいは現職教師たちをいかに意識改革し、優れた指導者へと再教育していくか、が基本目標になっていた。まさに教師の質的向上が問われているわけで、これは日本の教育界にとっても貴重な問題提起になる、と感じた。

「ナショナル・スタンダーズ」(米国標準)の誕生

シンポジウムを主催したのは東京・赤坂で日本語学校を運営している江戸カルチャーセンター。17年前から欧米、アジアからの留学生や社会人に日本語を教えている。80年代には大使館職員や外資系企業の駐在員が多かったが、90年代に韓国人が急増し、最近は定員280人の大半が中国からの留学生という。

その中沢百百子(ももこ)校長が2000年秋にフィンランドで開催された「ヨーロッパ日本語教師会」に参加した折、米国から招かれた当作靖彦カリフォルニア大学サンディエゴ校教授の「ナショナル・スタンダーズ」(米国標準)の講演を聴いて感動し、ぜひ日本に紹介したい、と頼んだのがきっかけだった。

「現場の先生たちは学校業務や雑用に追われて、教師としての心構えを再認識したり、教育のやり方を考え直したりする機会がほとんどないのが実状です。この“米国標準”は、日本にも十分当てはまる、と実感したんです」と中沢校長は言う。

では、その「米国標準」とは、どういうものか。

それは、ほぼ全教科について、幼稚園から高校までの各段階で、どの程度の学力を身につけさせるべきかを新しい「標準(スタンダード)」として設定したものだった。それなら日本にもある、と思われるかもしれないが、日本の文部省が定めている教科別、学年別の学習指導要領とは内容的に全く異なっている。「標準」の具体的な内容が、教える中身の設定ではなく、教師がどういう姿勢で、どんなことに留意して、生徒一人ひとりの個性を尊重しながら学習意欲を持てるように導いていくべきかという「教師のあり方」の目安を示しているからだ。

例えば日本語教育の目標として

  • Communications=日本語で意思疎通ができる
  • Cultures=日本文化について知り、理解する
  • Connections=他の教科と関連づけて日本語の知識を得る
  • Comparisons=英語と日本語、アメリカ文化と日本文化を比較する
  • Communities=学校の外で日本語を使う地域活動に参加する

――という5つのCを掲げ、それを実現する教育方法を工夫するよう求めている。

こうした教科別の「標準」づくりが93年に始まり、まず国語(英語)、算数(数学)から理科(物理、化学、生物など)、社会(地理、歴史、政治、経済など)、さらに外国語教育一般へと広がった。スペイン語、フランス語など印欧語を中心に9カ国語が取り上げられ、日本語については96年から研究され、99年に「標準」ができた。

「教育の危機」克服のための処方箋

こうした「標準」づくりの背景には、80年代のアメリカで「教育の危機」が深刻な社会問題となり、重要な政治課題になったことがあげられる。日本をはじめとするアジアのめざましい経済的発展に脅威に感じ始め、特にアジアの子供たちに比べてアメリカの子供たちの基礎学力の低さが米国の将来の競争力の低下につながる、と危機感を募らせたためだ。

88年に当選したブッシュ大統領が「教育大統領」を標榜し、92年に就任したクリントン大統領も「冷戦後の米国の最大の課題は、国内経済の発展と21世紀を担う子供たちの教育」と強調していた。

米政府は2000年までの国家目標として、「高校生の卒業率を90%以上にする」「米国の小中高校生が数学,科学で世界一の成績をあげられるようにする」「すべての市民が英語の読み書きができるようにする」などを掲げて、その具体的な実現策として「標準」づくりに取り組んできたわけだ。

ただし、ここで注意したいのは、米国は基本的に地方自治の国であり、教育も各州、各市町村や民間の自主性が最も尊重されており、日本のように政府(文部省)が全国各地の教育委員会や学校法人を指導(あるいはもっと端的に言って、統制)するものではないことだ。

そこでこの「標準」づくりも、複数の教師団体が連携して、政府やNGOなどの助成金をもらって策定委員会を作って、その委員たちが主体的に「標準」内容をまとめていった。

こうしてできた「標準」も、法律ではないので強制力はなく、各州、学校区、各学校がそれぞれのカリキュラム、指導方法を考える上での参考、あるいは目安になればよい、という考え方に立っている。

優秀な教師を認定する制度も登場

シンポジウムでは、米国での日本語教育の指導的役割を果たしてきた牧野成一プリンストン大学教授と「標準」策定メンバーだった盗作教授が「標準」の誕生した背景と具体的な内容を解説し、教員研修の専門家である横溝紳一郎広島大学助教授が「米国標準」を日本で普及する意義を強調した。

会場を埋めた約200人の聴衆の大半が大学や日本語学校で教えている教師や研究者で、朝10時から午後5時まで、ほとんど退席者もなく、最後まで熱心に耳を傾けていた。

パネル討論は私が司会し、会場からの質問に答える形で進めたが、「目標の達成度をどう評価するか」「そこまで指導できる教師を育てるのは大変ではないか」という疑問が多く出され、講師たちが「優れたベテラン教師を育てるため14項目の標準をつくった」「指導力のあるベテラン教師を認定する制度が全米で普及しつつある」ことなどを紹介し、活発な質疑が続いた。現場教師の実感として「日本語教師の世界では、出る杭は打たれません。抜かれます」という発言には思わず笑い、そして、なるほど、それだけ身分的に安定せず、学校経営者の意にそぐわない教師は容赦なく辞めさせられるのか、と考えさせられもした。

海外の日本語学習者は210万人も

後日、東京・虎ノ門にある社団法人、国際日本語普及協会を訪ねた。この協会が1977年に設立されて以来80年代半ばころまで、社会部記者としてその活動ぶりを取材し、何度か新聞紙面で大きく紹介したことがある。西尾珪子理事長は当時をよく覚えていて懐かしがる一方、「この20年で日本語教育の世界も飛躍的に発展してきたのよ」と現状を詳しく説明してくれた。

海外で日本語を学習している人は1979年に12万人くらいだったが、88年には73万人に増え、93年に160万人、98年には210万人に達した(国際交流基金調べ)。80年代、日本経済の躍進が世界中で日本ブームを起こし、90年代には北米、オーストラリア、アジア諸国で日本語学習熱が広がった結果で、98年の210万人の65%は小学生から高校生だという。

米国での日本語学習者は現在、大学生で3万5千人、高校以下で7万人ほど。盗作教授も「特に裕福な家庭ほど親が日本に強い関心を持っていて、子供たちに日本語を勉強するよう薦めている」と言っていた。

また日本国内の教育施設で日本語を学習している人は88年に6万4千人、94年に8万3千人、2000年に9万4千人と伸びている(文化庁調べ)。日本への留学生が増え、アジア、南米、中東などからの出稼ぎ労働者、企業研修生、実習生も増えてきたからだ。ブラジル、ペルーなどから出稼ぎに来ている日系人は全国で20万人以上いるし、群馬や長野、静岡などの工場やスーパーでは外国からの集団就職組が相当な数に上っている。さらに東南アジアからの難民として受け入れた人たち、日本人と結婚して日本に住む外国人の数も多く、そうした家族の子供たちが日本の小中学校に通うケースも珍しくなくなった。

一方、日本語教師の数は現在、海外に2万7千人、日本国内に2万人ほど。「学習者が急増しているのに、とても追いつかない。もっともっと、日本語教師を、それも質の高い教師を育てていく必要がある」と西尾理事長はうなずく。

海外向けには国際交流基金や国際協力事業団(JICA)が教師を派遣しているが、経費がかさむため、各国からの要望には十分応じられないのが実状だ。米国には日本語教師団体が2つあるが、その会員2000人の4割は日本語を母国語としない、つまり日本人ではない人たちだ。

国語政策の不在が最大のネック

国内の需要に応えるために普及協会が力を入れているのが、ボランティア教師の養成事業だ。全国各地の市町村からの依頼に応じて日本語教育の指導員、講師を派遣して地域のボランティアを育てながら、その地域に在住している外国人の生活相談に乗ったり、支援のネットワークをつくることを目指している。

「日本で働いている外国人の大半は一生懸命仕事して、日本の生産力を高めることに貢献している。彼らにはできるだけ日本をよく理解して、日本を好きになってもらいたい。そのためには日本人がもっと『内なる国際化』に努力して、異文化、多文化の学習をして、外国人とよく話し合い、お互いに誤解のない社会をつくっていきたい。平和で健康な多文化共生社会の実現、が私たちの願いなんです」。西尾理事長は、そう力を込めて語った。

たしかに日本社会は長い間、単一民族の単一言語、単一文化で生きてこれた。地域でも、職場でも、同じ日本人同士、仲間同士、あうんの呼吸で分かり合い、相手の気持ちを忖度しながら、摩擦を起こさないよう気を配り、よそ者、異分子を排除し、閉鎖的な集団をつくって、安住してきた。それが「国際化」で乱され、地域でも、職場でも、異文化の人たちと共生せざるを得なくなった。

その最先端で、毎日のように「異文化衝突」を体験しているのが日本語教師ではないだろうか。言葉は文化。教師たちに指導上の悩みを聞いてみると、ほとんどの人が「実は日本語って何だろう、日本文化って何だろうと時々、考え込んでしまいます」「正直なところ、自信を持って説明できないまま、とにかく、こういう表現をそのまま覚えてください、と言うしかないんです」と打ち明けてくれた。 日本語教育の展望について、文化庁の国語審議会の中心メンバーでもあった西尾理事長は「日本社会の多様化と、それぞれの地域の特性に合う教育のあり方について真剣に考えれば考えるほど、日本が国家として、政府として、しっかりした国語政策を持っていないのが一番のネックになっていることを痛感しています。まず基本に言語政策があって、その次に言語学習計画のガイドラインができるのですから」と語る。一番大事なものが欠けている――実は、これこそが日本文化の本質的な特徴ではないか、と私は感じている。