日本人の間で「英語は早くから覚えさせた方が良い」という考えは、信仰にも似て根強く、しかもこの数年、小学校英語の義務化に伴って急速に広がっている。子どもを「バイリンガル」に育てたい、と幼児の段階から英語教室に通わせる親は増える一方で、小学生のための子ども英語教室も年々、盛況の一途だ。首都圏ではわざわざ小学校の段階からアメリカンスクール、インターナショナルスクールに長時間通学させる親もいる。
以前から裕福な家庭、タレントや俳優などが、わが子を「将来国際的に活躍させたい」と願ってインターナショナルスクールに送り込むケースがあった。中には「現地で英語の生活に慣れるのが最も効果的」と、母親が子どもを連れてわざわざ英語圏の国に引っ越し、半年、1年と親子で現地の英語学校に通う例もある。大手の英会話学校が「親子で体験留学」を企画して1,2週間から1か月ほど英語圏に行くプログラムも静かなブームになるほど人気だという。
高いお金を払って、そうまでする理由は何なのか。親たちの意見をまとめると「英語ができれば高校・大学の難関校、有名校に入れるし、社会に出てからもグローバル企業に就職できて、高収入が得られて、国際舞台で活躍できる」「自分が叶えたかった夢を子どもに叶えさせてやりたい」「子どもの将来のためになることなら、出来る限り何でもしてあげたい」ということになる。「わが子をバイリンガルにしたい」というのがその夢の目標というわけだ。
では、そうやって本当に、日本語も英語も不自由なく使いこなせる「バイリンガル」が育つのだろうか。過去にも子ども英語教室に通わせた、インターナショナルスクールに通わせた、親子留学した、という事例はたくさんあるが、そういう経験をした子どもたちのどれくらいが実際にバイリンガルに育ったのだろうか。
少なくとも私が見聞きした限りでは、うまく「バイリンガルに育った」例はほとんどない。皆、中途半端であり、良くてせいぜい「英語が好きになった」「英語が得意になった」という程度で、日常会話は流ちょうにできても、読み書きが拙いままで、本当の「バイリンガル」には程遠いのが実態だ。むしろ逆に「英語が嫌いになった」という事例の方をよく聞く。幼児・小学生段階では英語で日常会話が多少できるようになるくらいで、中学・高校・大学段階になって日本語でも英語でもまともなレポートが書け、人前で発表できるというレベルにまで育つのは、何より本人自身の意欲と努力、それに加えて家族や学校の協力が不可欠と言っていい。
また日本人の多くは、帰国子女は皆、英語がペラペラでバイリンガルになる、と誤解している。親の海外駐在で家族が一緒に行く場合、子どもは自分の意に反して日本語の通じない現地校に通い、友だちが一人もいない英語環境に否応なく適応せざるを得ないわけで、そこでうまく適応できる子は英語力は伸びても日本語力が止まってしまいがちであり、逆に適応できない子は英語力も日常会話レベルで止まり、自宅でも日本語の読み書きをしっかり勉強することがないまま、日本語力も伸びないというケースの方がむしろ多いという。
1990年代にニューヨーク郊外で日本人駐在員の子女向けの学習塾を経営していた市川力が、1千人以上の子どもの指導をした結果、大半の子どもは日本語も英語も不十分な「セミリンガル」にとどまって悩んでいる事例をたくさん紹介している(『英語を子どもに教えるな』(中公新書ラクレ、2004)。
同時に、幼児や小学生段階で「英語ペラペラ」になった子が日本に戻ると、日本人だけの集団に適応しようとして英語を全く話さなくなり、たいていはすぐに忘れてしまって、「ペラペラ」どころではなくなるケースがむしろ普通だ。「帰国子女は英語ができるはず」という周囲の期待・偏見に反発して、かえって「英語嫌い」になったり、逆に「英語が得意」を自分の拠り所にして「英語」にこだわる結果、日本語の勉強がおろそかになって、小学高学年から中学レベルでは英語も日本語もきちんとした読み書きができない状態に陥る例もよく聞く。つまりバイリンガルどころか、母語も英語も不十分という「セミリンガル」の状態に陥ってしまう例の方が現実には、はるかに多いのだ。
また東南アジアなど非英語圏で現地のアメリカンスクールやインターナショナルスクールに通っていた日本人の子どもの多くが授業に全くついていけず、孤立して辛い思いをし続けて登校拒否症になったり、途中で親が「このままでは日本の高校受験、大学受験に不利になる」と帰国させるケースもよく見聞きした。
以上の事例からもわかるように、親の「バイリンガル」願望で子どもを「英語漬け(Immersion教育)」にしても、実際にはそれに適応して英語がネイティブ並みにできるようになる子はごく少数であり、多くの子はむしろ不適応で悩み、英語も日本語もできない「セミリンガル」に陥る、という危険性の方が大きい、と考えるべきなのだ。
子どもが「英語漬け」環境にうまく適応できる場合なら、家庭ではむしろしっかりと日本語を話し、日本語の勉強、および日本人として身につけておくべき礼儀作法や倫理観・道徳観を親子で意識的に学び続ける必要があるのだが、普通の家庭ではまずそこまでの配慮ができないだろう。
そうして、こういう「セミリンガル」子女は、日本人社会では日本人なのに日本語ができない「変な子」扱いされ、英語ネイティブの間では当然、「英語力が足りない日本人」扱いされ、どちらでも中途半端で通用しないことになり、本人にとっては決して幸せな境遇とは言えないことになる。
私が日経新聞社に在職中、90年代初めに大量採用した帰国子女、海外留学組の新人たちの教育係を担当したが、彼らの英語力は他の日本人の新人たちよりも高かったが、仕事ができる・できないは英語力とはほとんど関係なかった。他の新人たちと全く同じように、あくまで個人差であり、就職後にどれだけ必死で仕事を学び、自分の能力の足りないところを克服すべく意識的に努力し続けたかにかかっていた。
国際教養大学でも丸12年間、ごく普通の田舎の公立高校を出た学生、帰国子女たちを取り混ぜて毎年100人以上は身近に接して見てきたが、ここでも痛感するのは、幼児・小学生の段階から「英語漬け」だった学生と、そうでない学生と比較しても英語力・学力・「地頭の良さ」などに何の違いもなく、英語力に関して言えば、中学・高校時代に英語が好きになって一生懸命勉強したかどうか、ということに大きく左右されていた。彼らの全体的な学力・「地頭の良さ」は日本語の本をどれだけたくさん読み、どれだけいろんな形式の文章をたくさん書き、みんなと議論してきたか、という「知的作業」の多い少ないにかかっていた。
そして、これまで私が身近に接してきた同時通訳者や外資企業で管理職として活躍している本物の「バイリンガル」の人たちは、ほとんど例外なく、中学・高校から英語を猛烈に勉強した人たち、あるいは社会人になってから仕事の必要上「バイリンガル」を目指して必死で勉強してきた人たちばかりだ。
そういう経験から言って、幼児期から、あるいは小学生時代から「英語漬け」にして、親の期待通りにバイリンガルが育つのはせいぜい良くて1~2割程度、残りの8割以上は「セミリンガル」にとどまる可能性の方がむしろ高い、と私は考えている。
もちろん、そうだからと言って、私は別に、幼児期から英語を学ばせてはならない、小学校から「バイリンガル教育」をさせてはならない、と言いたいわけではない。幼児英語教室や小学校英語教室などの営業妨害をするつもりも全くない。現にこれまで幼児英語教室、インターナショナルスクールをいくつか参観したが、どこでも子どもたちが楽しそうに遊び、学んでおり、こういう施設、環境があること自体は、多様な選択肢が与えられることで、子どもたちには良いことだろうな、と納得できた。それは子どもにピアノやヴァイオリン、舞踊、水泳や卓球・テニス・新体操などの教室に通わせるのと同じで、いろんな体験をさせ、その子の持つ可能性が高まるのを期待するのは、親として当然だろう。子どもに何をどう教育しようが、それはそれぞれの家庭の親たちの自由だし、それぞれの自由な教育方針に、私が難癖をつけるつもりは全くない。
だが、「あなたのためを思ってこれだけ投資しているのよ」と子どもに押しつけがましくしない方が良い、とだけは私自身、強く思っている。親が何を期待して、どう教育しようと、最も大事なことはそれを子ども本人がどう受け止め、どれだけ親に感謝して、親の期待に応えようと、自分から進んで頑張るかどうかにかかっている。残念ながら、というか当然、そんな親の甘い期待を裏切るような子どもの方が、むしろ多いのが現実だろうが。
もっと言えば、音楽や踊り、スポーツをいくら熱心にやっても、皆が皆、一流のプロに育つわけではない。オリンピックでメダルを取るまでのスターに育つのは極めて限られた、天賦の才能に恵まれた上、大変な練習量を重ねることができた一握りの人たちでしかない。それ以外の99%近い人たちは、いくら熱心にやっても一流の域にまでは到達しないのが現実だ。実は英語という外国語の習得も、こうしたスポーツや習い事と同じなのだ。毎日、意識して、しっかりと練習を積まなければ決して上達しないし、練習を何日か休めば、たちまち力が衰えてくるものなのだ。
また親の期待に応えられない自分はダメな人間だ、と思ってしまう子ほど、感受性が強く、コンプレックスを持ちやすく、登校拒否や引きこもり症状、家庭内暴力を起こしやすい、という話はよく聞く。最悪の場合には自殺にまで追い込まれてしまう。子どもをそこまで追いやってしまうのは、誰でもない、過剰な「教育ママ・パパ」の責任だろう。それも実は親の自己満足(自分は子どものためにこれだけ頑張っている、と自分にも周りにも言い聞かせたいという親のエゴ)でしかないのだ。昔からよく言う。「子どもは親の言うことは聞かないが、親のやることは真似する」。教育で最も面白い(と言っては語弊があるが)側面は「こう育ててから、子どもがこうなった」という例はあまりなく、「こう育てたにもかかわらず、子どもがこうなった」という方がむしろ普通だということだ。「カエルの子はカエル(オタマジャクシでもいいが)」でしかない。「トンビがタカを生む」ような、自分をはるかにしのぐように子供がたくましく立派に成長することを、親は期待しない方が良い。そういう親の過剰期待がむしろ子どもを傷つけ、ダメにする、ということを常に意識して、子どもが学校の成績や英語力、運動能力などに関係なく、おおらかに元気に、自立心旺盛に育つことをまず考えてやり、優しく見守ることこそが何より大切なのではないだろうか。
