現在、「グローバル人材」というと、能力の高いビジネスマン、つまり男性、というイメージが広がっている。だが、私は最近、女性の方が「グローバル人材」に向いているのではないかと思うようになった。周囲を見ても、まさに「グローバル人材」と呼ぶにふさわしい女性がたくさんいることに気づく。その代表格は他ならぬ、このメールマガジンを共同執筆している渥美育子・グローバル教育研究所理事長だが、私が前回の「地域起こし」で紹介した秋田についても、そう思い当たる人がたくさんいる。
例えば、秋田の乳頭温泉郷の小さな温泉宿「妙の湯」と夏瀬温泉「都わすれ」を国内でもトップクラスの宿に育てた女将、佐藤京子さんは外国人観光客の受け入れ策を様々に展開して観光庁長官賞の表彰第1号となった。秋田の観光土産トップの座を守っている和菓子「金萬」の大内睦子社長、能代市で30年以上も地域の在日外国人家族たちにボランティアで日本語を教えている北川裕子さん、病弱の母親の介護をしながら県北部各地の地域起こし活動を支援し、議会や市町村役場を動かして地域の活性化に取り組んでいる加賀谷七重さん、秋田市内の地元のお寺の地蔵さんの伝説を絵本にして各国語版を作成して県内の小学校に無償配布している割りばし画家の斎藤みつ子さん、仙北市内で農家民宿や農家レストランを経営している母娘たちなど、すぐに何人も思い浮かぶ。
彼女たちに共通しているのは、「いい」と思ったことはすぐやる決断の速さと、体を動かすフットワークの軽さ、それに自分の人脈をフルに生かして、能力のある人たちに愛嬌よく頼り、助言をもらいながら目的をきちんと達成する「人付き合い・人使い」のうまさ、人脈ネットワークを大事にして、そのコネをフルに利用する巧みさを持っていることだ。
そうした人脈づくりにあたっては、肩書や貧富、人種、年齢などで判断せず、その人たちの良さを見つけて付き合えること、それと同時に自分のやりたいこと、自分にしかできないこと、やるべきことをしっかりと自覚しながら「継続は力なり」と心得て、辛抱強く続けていく「志」=「信念」を持ち続けている。
こうした特徴、資質こそ、実は「グローバル人材」にとってきわめて重要な資質であり、能力なのだ。
1.男は「タテ社会」原理、女は「ヨコ社会」原理
考えてみると、日本の男性は、自分の個人的な資質・能力を「売り」にして仕事をするのではなく、自分の所属する組織の中の序列で仕事をすることを基本原理にしている。そこで往々にして他人を肩書(帰属組織とその中での地位)で判断し、さらに貧富・人種・年齢などで序列化して自分の位置を決め、自分よりも上か下かで、その人たちとどう付き合うかを決める傾向が強い。自分の帰属する組織・集団よりも社会的評価が上だと思う権威・権力に弱く、組織内でも上には逆らわず丁重に接し、下にはつい言葉遣いもぞんざいになり、横柄に接しがちになる。つまりもっぱら、「タテ社会」の中で生きている。島国の狭い共同体の中で、個人と個人が直接ぶつかり合うような摩擦をできるだけ回避し、自分と他人との関係を考えるのに上下関係の序列意識を基準としている傾向が強い。そうした日本の「タテ社会」ぶりを最初に明確に指摘したのは女性社会人類学者の中根千枝さんだった。
それに対して女性たちは基本的に、「肩書」が支配する上下関係よりも、個々人の個性を重視する。「私、その人を知っている」ことを素直に喜び、「友だちの友だちは友だち」という感覚で、人のつながりをヨコに広げて柔軟に考えることができる。人を判断するのにも、その人の社会的地位、肩書よりも、その人がどんな性格なのか、どんなことに興味を持ち、仕事以外にどんなことができるのか、という人柄、趣味・趣向、余技などに興味を持ち、「面白い人」か「魅力的な人」か「つまらない人」か、を判断する傾向が強い。つまり、そうした個々人の特徴をしっかり見ながら、その人たちとのつながりを重視する「ヨコ社会」を生きている。
そして「グローバル人材」とは、タテ社会の組織に依存しないで、一人の人間として、どんな人とも(人種・年齢・性別・宗教も含めた文化背景の違いを気にしないで)対等の立場で付き合えることが第一条件となる。それが「タテ社会」に生きている人にはなかなかできないが、「ヨコ社会」に生きている人には、案外苦労せずにできるのだ。その点で、グローバル人材には女性の方が男性よりはるかに有利であり、向いていると言える。
2.「父性社会」原理と「母性社会」原理
また社会学者や精神分析学者が好んで使う社会原理の説明に「父性社会」と「母性社会」がある。
「父性」原理は父親が子どもを厳しくしつけるように力を持って人を裁き、罰を与える「一神教」のようなもので、社会に律法を持って秩序を与え、統治する。その意味で「タテ社会」に向いた統治原理と言える。
それに対し「母性」原理は甘える乳飲み子だけでなく、誰でも優しく抱きしめ、慰める存在で、日本では「慈母観音」が典型であり、過ちを犯した者を断罪するのではなく包容力豊かに受け止めて許し、社会に安らぎと安定をもたらす。大乗仏教、道教の世界に見られるもので、山川草木悉皆成仏、どこにも八百万の神がいて、いつでもどこでも「お天道さま」が人の行いを優しく見守り、「それでいい」と認めて許してくれるもので、「ヨコ社会」に向いた社会安定原理と言える。
このメルマガの共同執筆者、渥美さんの年来の主張である「リーガル」原理と「モラル」原理をここに重ね合わせることもできるだろう。
「グローバル人材」のもう一つの重要な資質として、異文化社会・異文化人間に共感(Compassion, Empathy)を抱けることが挙げられるが、この共感能力という資質は、すぐに他人を断罪することが得意な「父性原理が支配するタテ社会」ではなかなか身に付けることが難しく、社会的弱者にも優しい目を向けられる「母性原理が支配するヨコ社会」に住む人の方が優れている。ここでも女性の方が男性より「グローバル人材」に向いていることがわかるだろう。
3.人間的魅力=人間力とは何か
「グローバル人材」の資質として最も重要なのは「英語力」などでは全くなく、広い意味での「コミュニケーション力」であり、そのコミュニケーション能力は実は、その人の人間的な魅力(最近は「人間力」という言葉が使われ始めているが)にかかっていることを、これまで何度か指摘してきた。
私が国際教養大学で日本人学生たちに常に強調していたことは、「英語が使える人材」礼賛論に浮かれて、単なる「英語屋」になるな、日本のことをもっと勉強し、日本代表として世界のどこに行っても日本人であることの誇りを持って現地の人達の信頼・尊敬を受けるような人間(=本当のグローバル人材)になることを目指せ、ということだった。
人間としての魅力がなければ、日本語でも英語でも、何語で話しても内容がつまらないし、信頼も尊敬もされない。ではその人間的魅力とは何か。
コミュニケーション力は交渉力と言ってもいい。実はコミュニケーション(交渉)を通して、相手がこの人は信用できる、信頼できる、と感じさせることこそが最も重要なのであり、それは自分の言動に責任を持てる人、ということだ。
「タテ社会」にどっぷりつかって自分の意見を持たずに「上」から言われたことを伝えるだけのメッセンジャー、相手に追及されると「上司・担当役員に相談します」と言うだけの人、「嘘も方便」と安易に二枚舌と使う人間、裏表のある人間はすぐに相手に見抜かれてしまい、結局は相手にされないし、個人的な信頼関係も築けはしないものだ。「タテ社会」に安住する者は、既成の組織・制度を肯定し、そこに安住する結果、そこから飛び出して新しいことに挑戦する気概が弱い。
それに対して女性は案外、「タテ社会」から飛び出すことをいとわず、自分が面白いと思ったこと、やりたいと思ったことに挑戦する度胸がある。人間的魅力はまさにそうした自由な発想で、好奇心旺盛に新しいことに果敢に挑戦する意欲を持ち、しかも実行できる人に自然と備わってくるものだ。
4.テレビの連続ドラマの主人公はなぜ女性が多いのか
そこで思い当たるのが、NHK朝の連続ドラマは基本的に女性を主人公にしていることだ。そのほとんどが、置かれた環境の中で「男勝り」に自立して、新しいものに挑戦していく「自立する女性」を描いている。そこで出てくる男は、一つには典型的な頑固な父親タイプと、気弱で回りに頼って失敗ばかりする情けない男だ。主人公は基本的に持ち前の明るさと芯の強さで、「タテ社会」に生きる男たちに「助けてやろう」「協力してやろう」という気を起こさせ、支援してもらうことで徐々にたくましく成長し、人間的魅力を増しながら大きく花開いていく、というストーリ展開だ。それが男女問わず、視聴者の幅広い共感を得るからだ。
振り返ってみれば、現実にも、世界のどこに行っても、そこで現地に溶け込んで、たくましく生きている日本人には男性よりも女性の方が多いことに気づく。日本人駐在員のほとんどは男性だが、彼らの大半は組織人間で「タテ社会」の論理と心理を引きずっていて、そこから飛び出す例は極めてまれだ。だが、欧米でもアジア・アフリカや中東の村などでも、そこで組織に関係なく、一匹狼のように自立して自分の能力を発揮している日本人には女性の方が多い。そうした「自立して、これまで(男たちが)誰もやろうとしなかったことに果敢に挑戦する姿勢こそ、まさに「グローバル人材」の最も素晴らしいサンプルなのである。そう言えば、私の尊敬する社会評論家で小児科医の松田道雄(1908~1998)が晩年に書いた著書のタイトルは『私は女性にしか期待しない』(岩波新書、1990)だった。彼が生涯を通して強調していたのは「自由な発想を大切に、自分の個性と天分を生かそう」だった。その到達点が女性への熱い期待であり、その求める人間像はまさに「グローバル人材」そのものだ、と私は考えている。
